しぴえる の ちらし の うら

散らかる感情を書きなぐれ

吹 っ 切 れ た

(重音テトオリジナル曲じゃないよ)

 

この世界に生まれたからには、学ばないと損だという価値観で生きてきた。

だって世の中は分からないことだらけ。

先人たちが紐解いてきた「世の中の仕組み」は、一生では到底学びきれない高さにまで積み上げられている。

その足跡を辿らないのはもったいない。

新しいことを知るのは、まるで冒険のように楽しい。

 

さて、そんな楽しいはずの学びが、中高生の時期に親との関係の中で少しずつ歪んでいった。

散々Twitterで闇を吐き出したので詳しいことは割愛するが、自分にとって学びはいつしか「好奇心を満たすための活動」から「親に否定されないための盾」に変わってしまったのだ。

 

そんなだから精神を病んでしまったし、高校を辞めて以来、勉強ができない(=親に愛される資格がない)ことを認めないで済むように、そもそも学ぶことを避けるように生きてきた。

たまに好奇心が首をもたげて本を手に取るのだが、しばらくすると苦しくなってやめてしまう。

そんな状態が何年も何年も続いた。

 

で、ふと思うところがあってTwitterに自分の気持ちを書き殴った。

ついでに、博士課程の夫氏に気持ちを打ち明けた。

 

夫氏の反応はつれない。

「新しいことを知るのが楽しいなら勉強すれば」

「でもやってると昔のこと思い出して苦しくて…」

「じゃあやめれば」

 

その通りである。

 

とはいえすぐには納得できないのでしばらく悩みを垂れ流し続けたのだが、気持ちを整理していくうちに、やっぱり自分は自分のために学びたいと強く感じた。

 

親のことなんか知るか、もうすぐアラサーだぞ。

 

何かが吹っ切れた気がしたので、深夜ではあるけれど高校時代の参考書を引っ張ってきた。

そしたらめっちゃ頭が働いた。

ペンが止まらなかった。

すごい。

 

今までは、勉強しようとすると途端に頭の働きが鈍くなっていた。

多分、自分で自分にリミッターをかけていたのだと思う。

本気を出した結果、自分が親の期待したような賢い人間ではないことが判明するのが怖かったからかもしれない。

 

でもそのことを一旦忘れてしまえば、気楽なもんだ。

 

とりあえず、高校の参考書をあらためて読むと普通に面白いので、今後しばらくは勉強に熱中しそうな予感がする。

だから、その日の進捗報告も兼ねてブログを書こう。

 

とりあえず飽きるまでは更新するから、気長に見守っててもらえると嬉しいかも。